冬の始まりの朝

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霜月初日。

大吾暦的に今日から冬。

昨日までと違って、今日は晴れていて風も無く、あたたかい。



それでも。

ガラス越しに見る空の感じとか風の香りとか。

嗚呼、やっぱり冬だなって思う。







四季の中では秋が一番好きだし、寒いのは身体に障るから苦手。

でも、だからといって、冬が嫌いな訳では無い。



苦手だから嫌いって考え方は、半分正しくて半分間違っている。

冬は寒くて厳しいけれど、冬にしかないものを持っている。







雪は美しいし。お餅も基本、冬にしか食べないものだって気がするし。

夕暮れが早くて心細い気持ちとか、年末年始の独特な感じとか。



素敵なものも。

素敵ではないものも。

世の中にも世界にも数え切れないくらいある。



気が付くか、気が付かないか、それだけだ。







朝。出掛ける前。

早起きな姫君は、ヒーターの前でお人形のお世話をしている。

早く出掛ける父親を見送りたくて、毎朝早起き。もっとゆっくり寝ていれば良いのに。



いってらっしゃいの為に早起きしてきた娘の為に、父親はパンを焼く。

トーストにジャムを塗り、冷蔵庫からチーズを出す。



娘が生まれてきて、父親になれて。幸せだと思う。







何気無く。

そんな事を思った11月1日。








本日の逸品・苺ジャム




6

有秋の美

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大吾暦的に。

神無月最終日が、秋の終わり。霜月から、冬となる。



例えあたたかくても

やり残しがあっても

2017年の秋は、もう終わり。







大吾暦での季節は


春・弥生、卯月、皐月、水無月

夏・文月、葉月

秋・長月、神無月

冬・霜月、師走、睦月、如月


となる。







六月はもう夏だろ?とか

十一月はまだ秋でしょ?とか

そういった意見は受け付けない。



あたたかい冬もあれば、肌寒い夏もあるのだ。まぁ気持ちはわかるけれども。

春と秋は夏の香りや冬の色が含んだ微妙な季節。



移り気な、その色香もまた、魅力かな。







今日は飲まないでおこう。書類を片付けて、過ぎゆく秋について考えながら、早めにゆっくり休もう。

そう思いながらロックグラスに焼酎を入れ、気付いたらストレイトへ移行。正しい秋の夜長だ。



五城目の兄弟と電信。

車やジャックさん、五反田で新しい自分に目覚めるか否かについて、等。

四輪の相談だったが、軽くコンサルティングもしてもらった。ヤンキーコンサルティング。



ありがとよ、兄弟。







2017年の秋の終わり。

引っ掛けられっぱなしの秋だったが。終わりの今夜は、悪くない夜だ。








本日の逸品・鮭と見せかけてのハンバーグ




15

木枯らし1号

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今年は。
大吾が個人的にバタバタ右往左往している事を除いてもだ。
確かに夏も秋も足早な感じがする。


2週連続で週末に台風がやって来て。
残り短い秋を、更に縮めてしまった感がある。






ハイブリッドな大吾は、右往左往に合わせて浮き沈みもこなしている。
体力が落ちてきているのか。走るべきか。わんぱくでも良いのか。逞しく育ってほしいのか。


体調が優れず。
ウイスキーには良い季節なのに、スコッチに手が伸びなかったり。
お酒もすんなり飲めたり、なかなか飲めなかったり。


焼酎の、炭酸割りが、いと優し。






さて。
飲んでも飲まなくても、翌朝には同じ様な怠さに見舞われている。
ただ、飲んでいない時も変わらない怠さや不調なので。朝の怠さは二日酔いに因るものではない事が証明された。


古民家の壁や窓を鳴らす台風や海鳴りを聴きながら、ハイボール後、焼酎ロック。
書き物仕事を途中で諦め、物思いに耽ながらウイスキーに移行。






翌朝。
外に出てみると、雨に濡れた愛車のお餅丸に紅葉の落ち葉がくっついていた。
綺麗だったけれど、紅葉の色以外の全ての秋が台風で飛ばされてしまった様で、何だかつまらない気持ち。


昨夜は確実に飲み過ぎたし、頭も痛いし身体も重いし喉もカラカラだが、これは二日酔いではない。






繰り返す。これは二日酔いではない。







本日の逸品・ピーナッツバターのパン



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新しい道の道端

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今年から始めた新発田市の飲み屋街、新道での路上唄者活動。

その中で。いい歳をした唄者として、改めて勉強させてもらっている。



呼ばれていない場所に、一人で立つ事。

夜の魅力的な飲み屋街で唄うという事。

それらの意味と意義を、肌で再認識する場面が多い。







新潟の歌うたいの間で。

新道でのストリートライヴは難しいと言われてきた。

実際、簡単ではない。



人との距離が近い分、トラブルに発展しかねない様な、難しい事もあるし。

アーケードも雁木も無い為、天候にも左右される。







けれど。

新道は色気があって素敵な夜の街だ。素敵な夜の街に唄うたいがいないなんて、勿体ない。

勿論、それなりに腕と度胸に憶えが無ければ、完全な自己満足で終わるだけだけれど。



この夜の街の素敵さの一部でありたい。勝手にそう思ってやり始めた。勝手にそう思ってやっている。

最初は自分でギター抱えて行っておきながら、正直「ここでやるのか?」って思ったくらい、度胸を要したけれど。







実際にやってみると。

改めて気付かされる事や、路上唄者活動の根本的な事に今になって気付かされる場面が多い。

何に気付いたのか、細かい事はまた今度書くけれど、有難い事だ。



それが大吾かどうかは別として、まず新道の街角に唄うたいがいる事を喜んでくれる人が多い。それはとても嬉しい事。

大吾は褒められて伸びるタイプではないけれど。喜んでもらえたら、やっぱり嬉しい。路上ライヴ不毛と言われた街で、路上をやる素敵さを改めて噛み締めている。



何事も、やってみなけりゃ、分からない。







簡単にいかない事が沢山ある。生きてりゃね。だから唄は、純粋な気持ちでやっていたい。








本日の逸品・ギターケース




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天使の飾り

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今日は諸用で新潟島へ。
2本の河川に囲まれた新潟市の中心街。
駅前や万代が大きく発展し、新潟島は旧市街な感じになりつつあるけれど。


やはり古町や白山、医学町や学校町辺りの古びた町並みや、路地の入り組んだ感じは好き。






今日訪れたのは旧市街の中にある大学病院や医学部、歯学部がある区域。
長い坂の途中にあって、坂を登りきると護国神社。その先の防砂林を抜けると、日本海だ。


今の村に越してくるまで。十年くらい、この辺りで暮らした。
高級住宅地の側に学生用のアパートが建ち並ぶ、静かで落ち着きのある町。






大吾が暮らしたアパートやマンションは、大学病院より海寄りだった。
スーパーやコンビニが近くになくて、少し不便だったかな。


高級住宅地の古町寄りの一等地には、かつて財を成した島本家の名残があるけれど。
あの頃、たとえ何がどうなっていても。どちらにせよ、今の大吾の知った事ではない。






懐かしい町で秋の香りに身を浸し、物思いに耽る。
何だか懐かしくて色々思い出したり、思い浮かべたり。嬉しい様な、少し寂しい様な。そんな気持ち。


この町には思い出がたくさんあって。でも、もうこの町には誰もいない。
もう会わなくても良い人もいれば、今だからあいたい人もいる。もう、会えない人もいる。日々は積み重なる。ただ懐かしいだけなら、褪せるだけ。


それはそれで、素敵だと思うけれど。






思い出は、繋がる事で、明日を見る。
そんな気がする、秋の坂道。







本日の逸品・レントゲン



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アードベギャン

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数日間。
諸事情で、アルコウルを口にしないで過ごしてみた。
結果から言うと、辛かった。


飲みたいのは、まぁ飲みたいのだが。
それに近いくらいの度合いで、普段飲んでいる時間に飲まないと、暇なのだ。






暇だと言いつつも。
大吾は良いお酒を
…ここで言う良いお酒ってのは、決して値段だけの事ではない。安いが好きなお酒とか、プレゼントされたお酒とか。そういう味わって飲みたいお酒の事…
ゆっくり飲む時以外は、大抵、何かしながら飲んでいる。


書面仕事をしていたり、ギターや三線を弾いていたり。
友達や兄弟と連絡取りながらとか、革の道具の手入れをしながらとか。






そういった事をしながら。ふと手を伸ばしたグラスに注がれているのがお酒ではないと、正直物足りないのである。
飲まないからとて、震えたり苛立ったりはしない。


ただ。
不思議な事に朝起きた時のだるさは、飲んでも飲まなくても変わらないのだ。
二日酔いだと思っていた怠さや不調の類いは、お酒の飲まずに迎えた翌朝にも現れた。


不思議だね。二日酔いでは、ないみたい。






今夜はひどく疲れていて。まぁあくまでも当社比なので、どうって事はないのだが。
まぁ一杯やりながら、書き物でもしよう。体調も少し落ち着いてきたし、ゆっくりスコッチでも。


上越のニクい奴から贈られたアイラ酒は、まだ開けない。幸せな気分で封を切りたいから。
今夜はこれまた好きなアイラ酒のアードベッグ。香りと味、そして余韻が堪らない。


つまらない気持ちを腹の中で燃やしてくれる様な火酒だ。強いが、美味しい。






美味しいが。
書き物、特に数字が絡む仕事には、確実に不向きだ。







本日の逸品・シチュー



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大きな独り言

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人並みにバタバタして
人並みに疲れた様な気になって。
ブログも書きたくないくらい。


そんな大吾を知ってか知らずか。
台風一過の秋の空は、どこまでも高くて綺麗。






開放感なのか。
解放感なのか。
どちらにせよ、ある一定を超えると喪失感になってゆく様に思う。


その一定を決めているのは自分で。
その自分は時と場合に因って浮いたり沈んだり。






やる事はたくさんあって。
でも何だか事や人に躓いてばかりで。
まぁ、それでも歩けるのだから。大吾がラッキーである事に、間違はいない。


思い浮かぶ顔がある。
思い浮かぶ声がある。
思い浮かぶ風景がある。
思い浮かぶ音楽がある。
それだけでラッキー。生まれてきた甲斐が、あったってもんさ。






海に落ちてゆく夕陽を眺めながら、丘の上に電文。
自分である限りは、歩けば躓くだろう。躓いて転んで、痛かったりするのは常だろう。


その時、何を思うか。
思い浮かぶ唄は何だろうか。
行きたい場所は何処だろうか。
あいたい顔があるだろうか。
転ぶかどうか、痛いかどうかは関係無い。胸の中に思い浮かぶそれらが、あるかどうか。






大吾には、ちゃんとあるから、ラッキーだ。







本日の逸品・大きな独り言



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