不自然な呪い

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唄う前。特に路上唄者活動の前、に於いて。

お風呂にゆっくり浸かってあたたまる事と、お腹いっぱいになる事。



この二つは、唄者としての大吾的にアウトな行為。

どちらも健康的なのだけれど、何故か声の出が悪くなるのだ。






お風呂は本来、喉にも良い筈だが。

実際に唄いにくくなるので、自分の身体の声を信用している。



でも唄う前は、出来たら身体を綺麗にしたい。なので大体シャワー。

そして大体お腹が減っている状態だ。






お腹いっぱい食べて

麦酒飲んで

お風呂でゆっくり身体伸ばして

麦酒飲んで

唄う。

これはもう自然。ただただ自然。唄者である前に、人としての圧倒的自然。



そういった健全さからはだいぶ遠いけれど。

それが自分の身体なら、それは自分の性質で個性だ。






まぁ良いタイミングで温泉や銭湯があれば入るし、麦酒も飲むけれど。ツアーや遠征時は、尚更。

その街の美味しいもの食べて、その街のお湯に浸かって。身を清めてからステージに上がりたい。



男として

旅人として

唄者として

道端芸者として

人として

それはもう自然。哺乳類、いや、脊椎動物としての絶対的自然。な筈なのだが。



湯に浸かり、ご馳走食べて、声が出ず。






何故だろうか。半端にストイックな体質も、その時ばかりは考えものだ。







本日の逸品・酸素ケーブル




4

月見酒

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ブログ再開とか言いながら。あまり更新もせぬまま卯月も終わってしまった。

卯月は卯月で忙しく、あれこれとバッタバタ。



忙しさに追われ、あっという間に月日を費やす。

充実している様にも思えるが。忙しさとは、ある意味退屈でもある。






疲れていると、頑張っても出来ない事も出てくる。

身体は一つだから、きちんと休めてあげるのは大切で。



けれど。

忙しいからって理由だけで、アレもコレもやらないってのは良くない。

じっとしているだけが休養ではない。



栄養は、獲りにゆかねば、獲られない。






魔の三月を凌駕する勢いだった今年の卯月。

けれど、忙しさに全部を吞まれる事無く、ちゃんと素敵な時間も過ごせた。



桜を観たり。

雨を眺めたり。

唄も唄っているし。

ゆっくりお茶もしたり。






そういった時間が、スケジュールをより過密にしていたとしても。

それらがあるから、走れるのだ。ハイオク入れなきゃ、ハイスペックなエンジンは動かない。



気が付けばもう皐月。

今月も色々あるけれど、自分らしく頑張りたい。

ブログの更新も二日に一度…いや、週二回は頑張りたい。



本当は飲んだらアレなんだけれど、満月なので月見酒を少しだけ。






素敵な事は、いつでも頑張りたい。







本日の逸品・満月




1

シャバシャバ珈琲

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身体が空き次第、色々な書き物に翻弄される火曜日。いや、翻弄されてはいないな。調べて書いて、判を押すだけだ。

しかし、あれだな。この手の書類は、わざわざと、一般人には分かりにくく出来ているようにしか思えない。



それでもやれば終わる。

時間がかかっても、手間がかかっても、やれば終わるのだから。

そう考えたら簡単なものだ。積み上げれば高く見えても、一枚一枚の厚さは紙でしかないのだから。






書類を書き、役所や各窓口巡りをし、新たに渡された書類に目を通す。

定番であるガストの朝ご飯は、シャバシャバな珈琲とカサカサのパン。



書類に詰まった時のガストでの朝活も、3年目に入った。

普通に暮らしていれば。滅多に見る事が無い書類や仕組みを相手に、悪戦苦闘してみる事を選んで、丸2年が過ぎている。






お勉強もそれなりにした。分からない事が相手だし。

知らなかったで何万円も飛ぶ事もあるし、それ以前に知らなかったでは済まされない事もある。



だから頑張って色々調べて、読んで書いて、学んで。昔から大吾は頭が良い、頭の回転が速いって、周囲からよく言ってもらっていたが。

実際はそんな事は無い。高卒認定はあるけれど、結局は中卒だし。抑、頭が良い人って悩まないし、ブレない人だと思うし。






まぁ大吾もそんなに悩んでいないけれどね。色々な事があるけれど、大吾は元気です。

今日だって、どこの街へ走っても一日雨な火曜日だったけれど。お昼もパン的なものを買うより、お店に御飯を食べに行けば良かったとか思うけれど。



思う通りにゆく部分も、そうではない部分も。大事な事には真剣であるべきだと思う。全部に、である必要はない。

上手に出来たら良いけれど、出来ないならやらないなんて、楽しくないから。楽しいに優しいを加えると、嬉しさになる。


例えば泣くでも。悲しいより、嬉しいが良いでしょ。大吾は、泣かないけれどね。






丁寧に。大事な事を、大切に。







本日の逸品・てのひら




4

ハヤトとデート

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初夏を思わせる土曜。仕事を終えて、夕方。

ギャツビーのふきふきシートで汗と疲れを拭き取る。



注!

文面上、比喩表現の一つとしていい加減な事を書いていますが。

ギャツビーのふきふきシートでは汗は拭き取れますが、疲れは拭えません。






イケメンだが変態な唄者『井口ハヤト』と待ち合わせ。

ギター二本と唄者二人を乗せた車は、夕陽を右手に一路、長岡を目指す。



道中、色々な事について話す。昔話やバカ話、ギターや女性について。

音楽の話や、お金や仕事の事。今とこれからの事。身体や人生や命について。井口がサクセスの容器に隠している、お風呂ローションの事など。






最近、色々な事があるなとか。ふと何も考えていない時がある事に、ふと気付く時があるなとか。

頭を使っているつもりではいるけれど、上手くいかない事もある。



宵刻から夜にかけて。長岡駅地下道から、空を望みながら唄う。夜空は青くて、夏を目指している。

月がいつもより近く感じて、何だか寂しくもある。でもさみしさだって、愛しく思えれば力になる。






地下道から地上へ出て、旧ジョンレノンシャッター前で、セカンドステージ。踊りながら唄って、笑ったり。

唄い初め以来の長岡路上、楽しかった。唄う事が自分にとって如何に大切な事なのか。改めてまた体感した夜だった。



唄い終わって、井口の希望でビックリドンキー。300グラムのハンバーグにベーコン&ご飯大盛り。後、でっかいパフェを平然と食べる井口ハヤトにビックリする。

別腹♪って笑う辺り、井口は女子っぽいなと思う25時過ぎ。しかし井口、男に別腹は存在しないぞ。前に、そして横にも。果てしなく出てくるばかりだ。






ハヤト君、夜中にパフェは…控えなせ。







本日の逸品・月の方角




3

カカオ86%

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この86%という数値がどうなのかは分からない。
数値の決め方も、妥当なのかどうかも分からないが。


美と健康。
それは共に重要で尊きものであると、大吾は考える。
老若男女を問わず。健やかであるという事は、まずそれで美しい。





美というものは…何だろうか。好みも捉え方も、人によってちがうだろうし。
でも。例えば咲き誇る桜は、皆から美しいと言われる。


それも色々な見方があって。でも、どの見方の中にも美しさがある。だから、皆から美しいと言われるのだと思う。
日本ならではの先入観でもなくて。咲き誇る桜を観たら、美しいって思うのが自然だ。





皆が美しいというから、自分は美しくないと言うぜ!みたいなのも、たまにいるけれどね。
ミュージシャンも皆が選挙行くのが世の風潮だから、俺は行かないぜ!みたいなね。そんなもん、ロックでも何でもない。


自分が思った事を疑わずにやれる人が、やはり一番強いって思う。健やかだから。
意識せず、考えず。自然な自分でいるって事は美しいって思う。大吾には、なかなか出来ないけれど。





では、一方で。
背伸びや痩せ我慢は不自然で美しくないのか。
そんな事はない、と大吾的には思う。もちろん、場面や状況によるけれども。


手の届かないところに望みがあるなら、背伸びして手を伸ばすのは不自然ではない。ここ一山踏み越えれば、その先に…って思えば、進んだ方が正解に近い。
自分に於ける健やかさは自分にしか分からない。疑う余地の無いものは、美しいと思う。





チョコレイト、やっぱり甘い、方が良い。






本日の逸品・革張りのソファー



10

零号機

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土曜日の夜は零号機で古町に唄いに出た。

唄い始めた頃、フォークギターの事なんかさっぱり分からなかった。だから、なかなかメインギターが定まらなかった。

人と同じのは嫌だし。でも何を選べば良いのかも分からなかった。



グレッチのフォークギターに憧れていたけれど、楽器屋にも売っていなかったし、実物なんか見た事もなかった。

買っては売りの繰り返しの中で、たまたま知人を通じて手に入れたグレッチが、零号機だった。






6022C型ランチャー。

グレッチの新品は高い。マイナーブランドの不人気機種だから、中古はあまり出回らない。

更に大吾が欲しかった青系は希少で。でも全然大切に扱われていなかったのか、手に入れた時は酷い状態だった。



何度もリペアしてもらい、様々な改造も施されている。まさに零号機、プロトタイプと呼ぶに相応しい。

グレッチも何本か買っては売りを繰り返したが、最初に手に入れた零号機は未だに手元に残っている。






今、フォークギターはGibsonの弐号機。エレキギターの初号機は、GRETSCHのHigh land。

この二本がメインで、零号機はサブ化している。でもとても大切なギター。



零号機を抱えて多くの夜を越えてきた。思い出とか、過去とか、そんな簡単に言葉で言えない出来事や夜が、たくさんあった。

嬉しかった事もあるし、時には誰かと楽しく唄い明かした夜もあった。その何倍も苦しい時があったし、惨めな思いもした。






悔しくてぶっ叩いたり、荒々しく扱ったりもした。もう唄なんてやめちまおうと、長岡駅の地下道に放り投げて帰った事もあった。

高速上がる直前に我に帰って、慌てて取りに戻って。一人、夜の地下道で小声でギターに謝って、持って帰ってきたんだったな。



仲間やライバル、恋した人に向けて、このギターで一体どれだけ唄ってきただろうか。今夜も色々想いたかったので、零号機で。

弐号機も大切だし精度も高くて、唄には合うけれど。やっぱり感情を出しやすいのはグレッチだ。9弦化もされているし、抑から弾きにくく扱いにくいギターだけれど。好き。うん、好きだな。






変わりゆく、街で爪弾く、青ギター。







本日の逸品・零号機




11

冬の先の季節

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今年の冬は雪がたくさん降った。あれからそんなに経っていないけれど。

あんなに降り積もったあの雪が、まるで嘘の様に消えて。



気が付けば卯月も中旬へと差し掛かっている。

昨日の雨が夢だったかの様に、今日は青空が広がっている。






三寒四温どころの話ではなく。今年は寒暖差が大きい。

車のエアコンも冷房にしたり暖房にしたり。



いつもより早めに色づき始めた桜の花々も、暖かさと寒さに交互にさらされて。

立つ場所に恵まれなかった花は、咲きながら散っている。






まるで始まりと終わりを混ぜた様相を呈している。

それを見て、何だか哀しい様な気持ちにもなるけれど。



でも桜も、人を喜ばす為だけに花を咲かせる訳じゃない。

生きている全ての命は、そのものが生きる為にある。






青い空は好き。綺麗だから。それと同じくらい、雨音に包まれた世界も好き。キラキラしたもの感じられたら、世界は綺麗だ。

いつでもそれを感じていられたらな。上手く、出来ないけれど。



花は散るけれど。散れば見えなくなるけれど。咲かなかった訳じゃない。

一つの冬を終えて。当たり前だけれど、春があって。怖いと思う事があっても、やっぱり自分で良かったと思う。






柔らかな、雨に抱かれて、散る桜。







本日の逸品・歩道




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