水色の夕焼け

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今、考えても分からない事がある。例えば明日の事とか。

今から、これから先の何かを不安がっても、仕方がない。それなら考えなければいい。



それが一番、シンプルで正しい考えかも知れない。

でも、考えるのが自分なら。その自分を否定しても、それこそ何も始まらない。






分からない事があってもいい。

分からない事を、分からないまま考えたっていい。



良くないのは、分かったつもりになる事。

分かったつもりになって、その先を考えない事。自分の事でも、誰かの事でも。






誰かに忘れられても。

何を抱えて、何に縛られていても。

痛かったり重かったりしてもだ。



そのまま歩くのが自分だと思ったら、やっぱり歩くのが自分に優しい。

よく分からないけれど、きっとそうだと思う。苦しくない事が楽だとは限らない。楽なだけの事が幸せだとも思えない。






今日は正直、駄目な一日だった様に思う。月曜日なのに。

身体の中を順番に取り外して、心と一緒に綺麗な水で洗いたい気分。そんな事は出来ないが。



明日は重い一日。でも今日駄目だったから、きっと明日はバッチリだ。

しっかりした気持ちと身体で自分に厳しく、明日を終えたい。



その方が、きっと優しいから。






甘えるな。躓きながら、突っ走れ。







本日の逸品・補水液




20

ロココ世代

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ちょうど良く時間が取れて。長い休止を経て、昨年からバンド活動を再開した親友達のライヴを観に行った。

10代の頃からの付き合いである我々も、もう言い訳の出来ない大人だ。



彼らのバンドは全曲オリジナル。我々にとっては当たり前の事だが。

世の中のミドル世代のミュージシャンに於いて、この感覚があまり普通では無い事も知っている。






もう様々な税金対策や費用対効果を気にかける立場である、大の大人の男達がだ。

金儲けにもならない音楽に、身銭と時間と気力体力を費やして。



あの曲、新曲だろ?カッコ良かったよ!って、酒も飲めない公共のホールの片隅の喫煙所で、真剣に話しているのだ。

今の姿は、十代の頃には想像も出来なかった。夢見ていたキラキラ感からは、正直遠いかも知れない。






けれど。酸いと甘いを煮詰めてドロドロになった現実の中で、人間やってきて。

成長したかどうかは分からないが、挫折しながらも色々を越えて生きてきた。



勿論、それらが全部唄になる訳ではない。でも色々やってきて、やらかしてきて。だから分かった事もある。

その上で。やっぱり音楽は素晴らしいと。そして金にならなくても好きな事をやるんだって。



結局は、基本は昔と、変わらない。






今は今なりに色々背負っているけれど。ガキの頃の自分達も間違っていなかったって事だ。

正しいかは分からないけれど、我々はそれを身を以て実証し、実感している。幸運なんだって思う。



生きていれば色々ある。心にも身体にも、色々あるもの。そんな中にいて。真剣なものに触れる場面があると、気力が湧いてくる。

気力が湧いてくれば、身体も呼応して元気になる。気がする。真剣でいたいと思う。






常に、今の自分だ。年齢で自分を誤魔化す程、馬鹿でも利口でもないのだ。







本日の逸品・ラッキーストライク




10

ヤクザなオヤジ

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今日はオヤジと慕った人の命日。師であり父である偉大な人。

家族の為にカタギになるって、色々なリスクや難儀を抱えて堅気になって、仕事始めて。



名刺代わりにって、一生懸命に儲け無しで仕事しても。

ヤクザが片手間で工事業始めた、みたいな陰口叩かれたり。






極道時代はそれなりの立場にいた人だった。でも堅気で仕事を始めたら新参者の一人でしかない。

苦しい思いもしただろうし、悔しい思いもしただろうし。



実際に大吾も、それを肌で感じる場面にも多々立ち合ってきた。それでも怒り狂う大吾を抑え、グッとこらえて頭を下げて。

後で大吾に

「殴る蹴るなんざ何時でも出来る。ここでキレたらカッコ悪いだろ?カッコ悪い事はやめようや」

って笑っていた。






大吾は唄で食べてはいない。働いていなくては食べられないし生きられない。でも唄が好き過ぎて、正直、仕事なんか何でも良かった。

職種も何でも良かった。ただオヤジの力になりたくて、一緒に働きたくて、頼み込んで雇ってもらった。



モグリの会社が事業化して、事務所構えて。法人化して、株式になって。一つ一つが嬉しかった。

当たり前の様に無理難題を吹っかけられ、意見が衝突して怒鳴り合いになったり、殴られた事も蹴られた事もあった。






それでも大吾はオヤジが好きだった。恨んだ事なんか一度も無い。一緒にパチンコしたり、昼間から麦酒飲んだり。

大吾が家族の事で悩んだ時も、病気になった時も、ぶっきらぼうに励ましてくれた。結婚する時も子供が出来た時も、我が事の様に大喜びしてくれた。



我が家の娘が生まれる2ヶ月前。殺しても死なないと思っていたオヤジは、ガンで嘘みたいに死んでしまった。それから3年で、代替わりした会社もなくなってしまった。

命日以外でも。近くを通った時や、節目や折り目に触れて、墓前に手を合わせている。パーラメントの長いフィルターを噛みつぶしながら、笑う顔しか浮かばない。



何の恩返しも出来なかった。今でも手を合わせては、頼ってばかり。






勘弁ね。大吾は今でも、子分だで。







本日の逸品・パーラメント




8

健康ボール

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高校入学当時。

それはそれは艶々で初々しい、消費税が3%の頃のこと。


学校帰りの制服姿のまま、白山祭りで香具師(祭りの露店)の仕事をしていて。






たまたま通りがかった担任に泣かれ

たまたま通りがかった母親に泣かれ


たまたま通りがかった付き合いたての当時の彼女にドン引きされた。


誰にでも、そんな思ひ出、ありますね。






四月。今年の春の白山神社に行って来た。

本殿と摂社末社の参拝を済ませ、狛犬さんに己の健康も祈願してみたり。


後、春の白山祭りを眺める。参道の両側に露店が並び、多くの人で賑わっていた。

大吾法では祭りでは散財してもOKとなっているので、年長さんになった姫に付き合ってお神籤や露店を楽しむ。






その中に画像の水風船(水ヨーヨー)があった。紙の釣り糸の先に針が付いていて、釣ったらゲットなやつ。

これ、昔は確か「健康ボール」って言っていた気がする。誰に聞いても知らないって言われるけれど、大吾は記憶力が良いので間違えてはいないはず。


これのどこら辺が健康なのか分からないが。狛犬さんもすりすりしたし、健康ボールも手にしたし、地元の祭りでは御神酒と御神穀も口にした。

これで健康面は完璧、なハズだ。後はやる気の問題だな。






確か、健康ボールって名前だったよな…。







本日の逸品・血豆




8

黄金週間終了

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連休も終わり。

何だか忙しい星回りの大吾さんなので。

残念ながら大型連休にはならなかった。



でもちょっと思った。忙しい忙しいと言っていて…確かに忙しいのだけれど。

それって半分は、自分のキャパが小さいのが原因だよな、と。






だからといって。

じゃあコメリ(ホームセンター)で大きな器を買ってきて、入れ替えましょう!

って訳にはいかない。

仕事だって唄だって。自分としての生き方や、人生に於いても。出来る事と出来ない事がある。



ならば、このまま我慢してやってゆくか。

いっその事、全部諦めてやめてしまうか。

どちらも優しくない。そのどちらでもない選択肢があるかも知れない。そう思っていたい。






何処に当てはまろうとも、誰に疎まれようとも。何を望まれ、誰に忘れられても。

結局のところ、自分は一人しかいない。



世の中の当たり前が。幸せのカタチとされるものが。例えば眩しく見えて、羨ましくてもだ。

それが自分じゃないなら、それまでの話だ。幸せになる必要は、誰にでもあるのだ。






連休後半は…まぁ後半だけが連休だったのだが。温泉で疲れを癒やしたり、姫と公園に行ったりして、のんびりと過ごした。

久々に会った海の街で暮らす姫の幼馴染みも、すっかり少年になっていた。



親も成長を忘れてはいけない。背はもう伸びないけれど。健康に気を付ける、とかね。

忙しくても心を亡くさないとか。物や事や人を好きだと思う気持ちを忘れない、とかね。






大人もさ、老いるだけでは、芸が無い。







本日の逸品・アイラ酒




10

ブルースマン

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場末感が愛おしいだけのパチンコ屋で、イケメンだが変態な唄者、井口ハヤトと待ち合わせ。

井口ハヤトは「夜の街で唄う事の意味」を共有出来る、唯一の唄者で兄弟。当然シンクロ率も高い。



しかし。服装が駄々被り(ペアルック)になるのは、大人の男としては避けたいところ。

なにせ井口とは、しょっちゅう服装が被るのだ。今日も今日とてだ。



白シャツに、赤パンツまで、お揃いだ。






時間の都合で。ハヤト君との遠征デート時の鉄板コースである越後湯沢の名湯『山の湯』には行けず。

夕刻に上越に到着し、ゴーゴーカレーで満腹。



出発時は雨だったのに、上越は快晴。空を仰いだ後、小林翔太の遺影と墓前に線香を手向け、手を合わせる。

今日、五月四日は上越の心優しきブルースマン、小林翔太が若くして旅立った日。






彼の方が大吾より余程しっかりしていたし、周囲から愛されていた。

それなのに大吾の様な半グレ唄者を、先輩だ兄貴だと慕ってくれて。



「一人で弾き語りで唄い続ける上で、大切なことってなんですか?」

と真剣に聞かれた事があった。






「自分が唄おうと思ったら、何時でも何処でも唄える事。それが大事かな。難しいけれどね」

って、そう答えた記憶がある。彼はライヴハウスメモリーのスタッフでもあった。



メモリーのある上越市高田の飲み屋街、仲町。その入口で良さげな場所を見つけ、近隣のお店の許可を得てギターケースを開く。

唄おうと思ったら何処でも唄うし、大吾も井口も相変わらずだよ。唄が好きなのも、ヨン様が仲間なのも、ずっと変わらないよ。






来年は、またメモリーでやろうな。







本日の逸品・オンプガン




10

道端唄者の理屈

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何の為に歌っているの?

訴えたいメッセージがあるんでしょう?



路上で唄っていて、幾度となく聞かれた事。

聞かれる度に嫌だった。馬鹿馬鹿しい。






そうだよ、俺は左翼でリベラルな環境で育ったからね。腐った世の中に、唄という石を投じているのさ。

とでも言えば、納得のゆく答えで満足なのか?



大吾はマイノリティだっただろうし、でもそれを誇った事は無い。

マジョリティに憧れたりもしなかったが。幼心にでも、どっちも派じゃねぇかって思っていたし。






例えば。尾崎豊はすごいなって思うけれど。

盗んだバイクで走り出すーと歌えば、カッコ良く聞こえるのかどうか分からないが。



中学生が盗んだバイクで走り出したら。

大抵はコケて捕まるか、どこからかバレるかして、家裁から鑑別or保護観。後、坊主刈り&反省文だ。






どこかで見聞きした程度の、大衆的なものに右習えしていても。大吾の場合は自分の血肉にはならない。その気にならないからだ。

メッセージがあって唄う時も、稀にあるけれど。それは特定の誰かに向けて、が前提で。



基本的には順番が違う。唄う事そのものに、意味や価値があるのだ。理屈を通り越して唄うのが好きなら、唄う以外に無いだけ。

好きなものだけでは、きっと生きてゆけないけれど。やるべき事に追われるくらいで好きを手放す程、馬鹿じゃないんだぜってだけの話だ。



物でも事でも人でも。好きって、それだけで強い。






好きだもの。理屈なんかじゃ、計れない。







本日の逸品・強めのミント