ブルースマン

DSC_0856.jpg

場末感が愛おしいだけのパチンコ屋で、イケメンだが変態な唄者、井口ハヤトと待ち合わせ。

井口ハヤトは「夜の街で唄う事の意味」を共有出来る、唯一の唄者で兄弟。当然シンクロ率も高い。



しかし。服装が駄々被り(ペアルック)になるのは、大人の男としては避けたいところ。

なにせ井口とは、しょっちゅう服装が被るのだ。今日も今日とてだ。



白シャツに、赤パンツまで、お揃いだ。






時間の都合で。ハヤト君との遠征デート時の鉄板コースである越後湯沢の名湯『山の湯』には行けず。

夕刻に上越に到着し、ゴーゴーカレーで満腹。



出発時は雨だったのに、上越は快晴。空を仰いだ後、小林翔太の遺影と墓前に線香を手向け、手を合わせる。

今日、五月四日は上越の心優しきブルースマン、小林翔太が若くして旅立った日。






彼の方が大吾より余程しっかりしていたし、周囲から愛されていた。

それなのに大吾の様な半グレ唄者を、先輩だ兄貴だと慕ってくれて。



「一人で弾き語りで唄い続ける上で、大切なことってなんですか?」

と真剣に聞かれた事があった。






「自分が唄おうと思ったら、何時でも何処でも唄える事。それが大事かな。難しいけれどね」

って、そう答えた記憶がある。彼はライヴハウスメモリーのスタッフでもあった。



メモリーのある上越市高田の飲み屋街、仲町。その入口で良さげな場所を見つけ、近隣のお店の許可を得てギターケースを開く。

唄おうと思ったら何処でも唄うし、大吾も井口も相変わらずだよ。唄が好きなのも、ヨン様が仲間なのも、ずっと変わらないよ。






来年は、またメモリーでやろうな。







本日の逸品・オンプガン




10

道端唄者の理屈

DSC_0833.jpg

何の為に歌っているの?

訴えたいメッセージがあるんでしょう?



路上で唄っていて、幾度となく聞かれた事。

聞かれる度に嫌だった。馬鹿馬鹿しい。






そうだよ、俺は左翼でリベラルな環境で育ったからね。腐った世の中に、唄という石を投じているのさ。

とでも言えば、納得のゆく答えで満足なのか?



大吾はマイノリティだっただろうし、でもそれを誇った事は無い。

マジョリティに憧れたりもしなかったが。幼心にでも、どっちも派じゃねぇかって思っていたし。






例えば。尾崎豊はすごいなって思うけれど。

盗んだバイクで走り出すーと歌えば、カッコ良く聞こえるのかどうか分からないが。



中学生が盗んだバイクで走り出したら。

大抵はコケて捕まるか、どこからかバレるかして、家裁から鑑別or保護観。後、坊主刈り&反省文だ。






どこかで見聞きした程度の、大衆的なものに右習えしていても。大吾の場合は自分の血肉にはならない。その気にならないからだ。

メッセージがあって唄う時も、稀にあるけれど。それは特定の誰かに向けて、が前提で。



基本的には順番が違う。唄う事そのものに、意味や価値があるのだ。理屈を通り越して唄うのが好きなら、唄う以外に無いだけ。

好きなものだけでは、きっと生きてゆけないけれど。やるべき事に追われるくらいで好きを手放す程、馬鹿じゃないんだぜってだけの話だ。



物でも事でも人でも。好きって、それだけで強い。






好きだもの。理屈なんかじゃ、計れない。







本日の逸品・強めのミント




不自然な呪い

DSC_0776.jpg

唄う前。特に路上唄者活動の前、に於いて。

お風呂にゆっくり浸かってあたたまる事と、お腹いっぱいになる事。



この二つは、唄者としての大吾的にアウトな行為。

どちらも健康的なのだけれど、何故か声の出が悪くなるのだ。






お風呂は本来、喉にも良い筈だが。

実際に唄いにくくなるので、自分の身体の声を信用している。



でも唄う前は、出来たら身体を綺麗にしたい。なので大体シャワー。

そして大体お腹が減っている状態だ。






お腹いっぱい食べて

麦酒飲んで

お風呂でゆっくり身体伸ばして

麦酒飲んで

唄う。

これはもう自然。ただただ自然。唄者である前に、人としての圧倒的自然。



そういった健全さからはだいぶ遠いけれど。

それが自分の身体なら、それは自分の性質で個性だ。






まぁ良いタイミングで温泉や銭湯があれば入るし、麦酒も飲むけれど。ツアーや遠征時は、尚更。

その街の美味しいもの食べて、その街のお湯に浸かって。身を清めてからステージに上がりたい。



男として

旅人として

唄者として

道端芸者として

人として

それはもう自然。哺乳類、いや、脊椎動物としての絶対的自然。な筈なのだが。



湯に浸かり、ご馳走食べて、声が出ず。






何故だろうか。半端にストイックな体質も、その時ばかりは考えものだ。







本日の逸品・酸素ケーブル




4

月見酒

DSC_0824.jpg

ブログ再開とか言いながら。あまり更新もせぬまま卯月も終わってしまった。

卯月は卯月で忙しく、あれこれとバッタバタ。



忙しさに追われ、あっという間に月日を費やす。

充実している様にも思えるが。忙しさとは、ある意味退屈でもある。






疲れていると、頑張っても出来ない事も出てくる。

身体は一つだから、きちんと休めてあげるのは大切で。



けれど。

忙しいからって理由だけで、アレもコレもやらないってのは良くない。

じっとしているだけが休養ではない。



栄養は、獲りにゆかねば、獲られない。






魔の三月を凌駕する勢いだった今年の卯月。

けれど、忙しさに全部を吞まれる事無く、ちゃんと素敵な時間も過ごせた。



桜を観たり。

雨を眺めたり。

唄も唄っているし。

ゆっくりお茶もしたり。






そういった時間が、スケジュールをより過密にしていたとしても。

それらがあるから、走れるのだ。ハイオク入れなきゃ、ハイスペックなエンジンは動かない。



気が付けばもう皐月。

今月も色々あるけれど、自分らしく頑張りたい。

ブログの更新も二日に一度…いや、週二回は頑張りたい。



本当は飲んだらアレなんだけれど、満月なので月見酒を少しだけ。






素敵な事は、いつでも頑張りたい。







本日の逸品・満月




1

シャバシャバ珈琲

DSC_0779.jpg

身体が空き次第、色々な書き物に翻弄される火曜日。いや、翻弄されてはいないな。調べて書いて、判を押すだけだ。

しかし、あれだな。この手の書類は、わざわざと、一般人には分かりにくく出来ているようにしか思えない。



それでもやれば終わる。

時間がかかっても、手間がかかっても、やれば終わるのだから。

そう考えたら簡単なものだ。積み上げれば高く見えても、一枚一枚の厚さは紙でしかないのだから。






書類を書き、役所や各窓口巡りをし、新たに渡された書類に目を通す。

定番であるガストの朝ご飯は、シャバシャバな珈琲とカサカサのパン。



書類に詰まった時のガストでの朝活も、3年目に入った。

普通に暮らしていれば。滅多に見る事が無い書類や仕組みを相手に、悪戦苦闘してみる事を選んで、丸2年が過ぎている。






お勉強もそれなりにした。分からない事が相手だし。

知らなかったで何万円も飛ぶ事もあるし、それ以前に知らなかったでは済まされない事もある。



だから頑張って色々調べて、読んで書いて、学んで。昔から大吾は頭が良い、頭の回転が速いって、周囲からよく言ってもらっていたが。

実際はそんな事は無い。高卒認定はあるけれど、結局は中卒だし。抑、頭が良い人って悩まないし、ブレない人だと思うし。






まぁ大吾もそんなに悩んでいないけれどね。色々な事があるけれど、大吾は元気です。

今日だって、どこの街へ走っても一日雨な火曜日だったけれど。お昼もパン的なものを買うより、お店に御飯を食べに行けば良かったとか思うけれど。



思う通りにゆく部分も、そうではない部分も。大事な事には真剣であるべきだと思う。全部に、である必要はない。

上手に出来たら良いけれど、出来ないならやらないなんて、楽しくないから。楽しいに優しいを加えると、嬉しさになる。


例えば泣くでも。悲しいより、嬉しいが良いでしょ。大吾は、泣かないけれどね。






丁寧に。大事な事を、大切に。







本日の逸品・てのひら




4

ハヤトとデート

IMG_20180422_021736_743.jpg

初夏を思わせる土曜。仕事を終えて、夕方。

ギャツビーのふきふきシートで汗と疲れを拭き取る。



注!

文面上、比喩表現の一つとしていい加減な事を書いていますが。

ギャツビーのふきふきシートでは汗は拭き取れますが、疲れは拭えません。






イケメンだが変態な唄者『井口ハヤト』と待ち合わせ。

ギター二本と唄者二人を乗せた車は、夕陽を右手に一路、長岡を目指す。



道中、色々な事について話す。昔話やバカ話、ギターや女性について。

音楽の話や、お金や仕事の事。今とこれからの事。身体や人生や命について。井口がサクセスの容器に隠している、お風呂ローションの事など。






最近、色々な事があるなとか。ふと何も考えていない時がある事に、ふと気付く時があるなとか。

頭を使っているつもりではいるけれど、上手くいかない事もある。



宵刻から夜にかけて。長岡駅地下道から、空を望みながら唄う。夜空は青くて、夏を目指している。

月がいつもより近く感じて、何だか寂しくもある。でもさみしさだって、愛しく思えれば力になる。






地下道から地上へ出て、旧ジョンレノンシャッター前で、セカンドステージ。踊りながら唄って、笑ったり。

唄い初め以来の長岡路上、楽しかった。唄う事が自分にとって如何に大切な事なのか。改めてまた体感した夜だった。



唄い終わって、井口の希望でビックリドンキー。300グラムのハンバーグにベーコン&ご飯大盛り。後、でっかいパフェを平然と食べる井口ハヤトにビックリする。

別腹♪って笑う辺り、井口は女子っぽいなと思う25時過ぎ。しかし井口、男に別腹は存在しないぞ。前に、そして横にも。果てしなく出てくるばかりだ。






ハヤト君、夜中にパフェは…控えなせ。







本日の逸品・月の方角




3

カカオ86%

DSC_0642.jpg
この86%という数値がどうなのかは分からない。
数値の決め方も、妥当なのかどうかも分からないが。


美と健康。
それは共に重要で尊きものであると、大吾は考える。
老若男女を問わず。健やかであるという事は、まずそれで美しい。





美というものは…何だろうか。好みも捉え方も、人によってちがうだろうし。
でも。例えば咲き誇る桜は、皆から美しいと言われる。


それも色々な見方があって。でも、どの見方の中にも美しさがある。だから、皆から美しいと言われるのだと思う。
日本ならではの先入観でもなくて。咲き誇る桜を観たら、美しいって思うのが自然だ。





皆が美しいというから、自分は美しくないと言うぜ!みたいなのも、たまにいるけれどね。
ミュージシャンも皆が選挙行くのが世の風潮だから、俺は行かないぜ!みたいなね。そんなもん、ロックでも何でもない。


自分が思った事を疑わずにやれる人が、やはり一番強いって思う。健やかだから。
意識せず、考えず。自然な自分でいるって事は美しいって思う。大吾には、なかなか出来ないけれど。





では、一方で。
背伸びや痩せ我慢は不自然で美しくないのか。
そんな事はない、と大吾的には思う。もちろん、場面や状況によるけれども。


手の届かないところに望みがあるなら、背伸びして手を伸ばすのは不自然ではない。ここ一山踏み越えれば、その先に…って思えば、進んだ方が正解に近い。
自分に於ける健やかさは自分にしか分からない。疑う余地の無いものは、美しいと思う。





チョコレイト、やっぱり甘い、方が良い。






本日の逸品・革張りのソファー



10