新道の道端芸者

DSC_0284~01.jpg
紅い弐号機を収めた茶色のギターケースとランタン。
テーブル代わりの赤エナメルの折り畳み椅子を抱えて。


新発田市の夜の街、新道は「ぐみの木通り」に唄いに出た。
体調や予定、天候等に阻まれ、一ヶ月ぶりの新道路上。






「ぐみの木通り」というのは、大吾が勝手に決めた通称。
まぁ新道に飲みに出ている人には通じるだろうけれど。


大吾が唄っている場所は大吾行きつけの『ぐみの木』の前。
いつも通り唄う前に軒を借りている『ぐみの木』に顔を出し、挨拶。






癒し系バーテンダーのタカヒロ君に温かいお酒を作ってもらう。
千恵子さんにもらったカイロをマフラーに仕込んでギターケースを開ける。


水に身を浸している様な寒さの中。ランタンの蝋燭に火を灯し、一通だけメールを送信して。
乾燥しきった冬の空気に向けて、白い息と一緒に唄を吐き出す。






聖籠のマブい大兄さんや紫雲寺のイケメン大工さん、サックス吹きの美女にも会えて。
悲鳴と警報を鳴らす身体を騙しだまし、年末色の新道の空気を味わう。


唄は基本、一人で唄う。でも一人で自分をやっている訳ではない。一人が好きな大吾だけれど。そこは変わらないけれど。
それでもここで唄うようになって、少しは人間らしくなれた気もする。読んで書いて字の如く、大吾にとっても新道だな。


いい歳して新しい道があるってのは、有難い。






出来るなら、年内にまた、唄いたい。







本日の逸品・子守歌



19

モテ要素

DSC_0274~01.jpg

上手くいかない日、というものがある。

便宜上、日という表現を用いてはいるが。厳密に言えば「瞬間」なんだろうな、とは思う。



皆がどうかは分からない。だから分かる範囲で大吾に於いて言えば、の話。

まぁ大吾の大吾による大吾の為?の戯れ言ブログなので、ほぼ全部が大吾に於いての話だけれども。







その「上手くいかなかった瞬間」を「瞬間」と捉えて。

すぐに復旧出来る程、大吾は高性能ではない。



勿論。

人前に出ている時に「駄目な瞬間」に見舞われても、周囲から見て

「あー、今日は大吾さん駄目な日だな」

などと言われない程度に、繕う様にはしているけれど。







駄目の種類や度合いに寄るけれどね。

何にせよ、親しい人間の前以外で弱ったザマを露呈出来る程、大吾は高性能ではない。



まぁ基本的に大体の事は、余裕で楽勝な大吾さんなので。

よそ様に弱ったザマを見せる見せないの前に、抑も根本的に弱らない。



楽勝さ。細けぇ事は、いいんだよ。







さて。

そんな良く言えば大胆不敵。冷静に見れば不真面目でいい加減な大吾。

駄目な瞬間に遭遇すると、あくまでも気持ち的にだが、今日一日は駄目な日でいいか…となる。



上手くいかない瞬間があった日=上手くいかない日、として希釈して、明日に備える様にしているのだ。

しているというか、そうなってしまっている。一見クールで完璧にしか見えない大吾さんの、一瞬の隙。スキ。そのギャップ。もうモテ要素でしかない。



萌えるだろ?







今日は淀んだドブの様に、駄目な日だった。

革の道具のお手入れでもして、気持ちを切り換えねば。








本日の逸品・マスク




18

黄昏事業主

DSC_0275~01.jpg

忙しい。

書いて、読んで、字の如く。師匠も走ると書いて、師走でございます。

世間様と肩を並べられる程ではございませんが、大吾も大吾なりに忙しい。



道端芸者の河原乞食風情が何様のつもりか?とお叱りの向きも御座いましょうが。

大吾も零細事業の事業主で御座います。







御客様は神様。

なんて時代じゃないんだぜ、エブリバディー。サービス業は代行業なんだぜ。

某かの業務を代行して、大なり小なり、その面倒な何かしらの手間を請け負って、対価を受け取っているのだよ。



例えば。

バーで一杯飲むとしてもだ。店に入れば灯りがともっていて、冷暖房が効いていて。

頼んだアルコウルや料理が出て来て。灰皿やおしぼりが出て来て。飲み食い散らかしても、片付けてくれる。







車屋なら車体の販売や各種手続き。オイル交換等の整備や修理。

病院なら治療や薬の処方、検査。

音楽事務所ならレッスンやレコーディング。

会計や保険の手続きといった事務職。

タクシーや運転代行、運送業。

新築や増改築を担う大工や図面引き。



あげればキリが無いくらい多岐に渡って、様々な「委託」を請け負うのがサービス業だ。

自分では出来ない、或いは出来なくは無いが知識や時間が無いからやりたくない。それらを代金と引き換えに、やってくれているのだ。







プロがプロとして請け負う物事に対し、対価を払うのは当然で。お金を払っているのだから、と仰け反らず、そこに感謝をするのが人として…少なくともワビサビを重んじる侍の国の末裔として、当然であるべきだ。

文句があるなら、出銭を抑えたいなら。出来る事は、てめえでやれやって話だ。請ける側も客を素人だなんてナメた考えを捨てて、プロとして請け負うのがスジだろう。



言いたい事が何なのか分からなくなってきたが。社長と作業員と事務職と営業を兼ねる大吾は、確定申告に向けて、今更収支計算を始めています。

経費の節約もあるけれど、取り敢えず経験値獲得と、今後の参考の為に。出来る限りは自分でやってみようと思い、寝る間を惜しんで、スコッチの誘惑に耐えながら缶麦酒を飲みつつ、パーソナルコンピュータに向かっています。



仕事量や成果で金額が決まるのだから、楽な仕事なんかこの世に無い。







出来るなら、楽したいのが、本音だが。








本日の逸品・シチュー




16

安全運転の勧め

FB_IMG_1513082794744.jpg

二年前の師走。

そういえば事故った。仕事帰り、見通しの良い片側2車線道路を直進中。

突然信号無視した車が目の前に突っ込んで来て、正面衝突。



相手は80オーバーの爺さん。

道も行き先も信号も間違えて、意気揚々と大吾のクルマの前に突っ込んで来た。







大吾が運転していた重機を積んだ中型ダンプは、中破。

運転席がくの字に歪み、ドアが外れ、運転席の床がブレーキペダルごと腰の高さまで跳ね上がった。



相手の乗用車は大破。1回転半横転して、エンジンから煙りが上がった。

安全を重視した新型車だったから、相手方のジジイも同乗のババアも無傷だった。



年寄りの、車は兵器と、思うべし。







相手方が100%悪かったから、取り敢えずの金銭的打撃は無かったが。大吾は世間でいうところの重傷。

事故りたての時は、まず横転して煙を噴いている車からジジイとババアを引っ張り出し、警察やら保険やらの対応。



そうでなくても師匠も走る忙しさ。普段からして不足している重機のオペレーター(自分)とダンプ1台が抜ける事になる。

まだ痛みは感じていなかったけれど、痺れている身体を引っ張り回して、その対応やら段取り替えやらにバタバタと奔走する。







病院へ行ったのは翌日の昼。足の骨2ヶ所にヒビと、腰の椎間板1ヶ所が潰れていた。

足が痛かったのだが、腰の方がダメージが大きかった。医者にもっと早く来なさい!とお叱りを受ける。



来るなと言われても、きちんと菓子折持って謝罪に伺います!

と、連呼していたジジイは、一度も謝罪に来なかった。要らないけれど。



あの事故から色々な流れが変わった気がする。不運が続くな…と当時は思ったが。







当時にしても、そしてこの先の流れも。結局は自分次第だなと、今は思う。








本日の逸品・ロキソニン




16

水鏡の盾

DSC_0276~01.jpg

色々と考えを巡らせてみても。

自分以外の誰かの気持ちは分からない。



自分の経験や相手への信頼から、ある程度想像は出来る。

そう書くと冷たい感じがするが。大吾が言いたいのは、もっと感情的なところで。







人の気持ちは人のものだから分からないけれど、好きな相手の気持ちを知りたい

とか。

大切な何かを信じている自分の感情や感覚を疑わないとか。



そういう自分の気持ちが大切なのかな、って。こちらから見えない何かであれば、向こうからも見えていないかも知れない。

手を伸ばさなければ、何にも届かない。掴めるかどうかは、また別の話だ。







どんな素敵な人に会っても、どんな素晴らしい風景を見ても。

逆に、例えば心身供に逃げ出したくなるような、投げ出したくなる状況に在っても。



全ては。

自分というものが

自分というフィルターを通して

自分で解釈、咀嚼して

自分に吸収したり排除したりしている。







いつも何かに躓いたり、気が付いたりして。思い出したり想い浮かべたりしながら。

当たり前をなぞって安心したかったり、不安になったり。



誰かに何かを望んだって、当たり前にその人は自分ではない。けれど。その人に何かを望む自分には、他に譲れない大切な自分の気持ちがある。

でも。誰かに映してもらわないと、自分が何なのか分からなかったりもする。



説明しようとすればする程、何かズレてゆく気がするのは何故だろう。







言葉って、便利で大事で、薄っぺら。








本日の逸品・みかん




15

Boire un coup

FB_IMG_1512910664613~01.jpg

土曜日。

不規則に動いていた為、時間も曜日もあやふやだった一週間。久しぶりに、自分を褒めたくなるくらい頑張った一週間。

飲む時にアルコウルの量を考えるくらいには、忙しくて疲れた一週間だった。



そんな週の締め括りの夜。

新発田の新道に唄いに出るつもりでいたが、天候が微妙。新道では雨雪の夜は唄えない。



取り敢えず支度をして、一杯飲みながら様子を見ようかな。

そう悩みながら新道に向かっていると。予期せぬ客人が新道に来ていたの事。







なるほど。

今夜はそういう夜か。結局ギターケースは蓋を閉じたまま、今夜は飲む事に。

取り敢えず突発的再会にそわそわしながら、ぐみの木で乾杯。



ぐみの木は大吾にとって新発田は新道の家であり、拠点。新発田の兄貴が切り盛りする行きつけの店のカウンターで、遠方から来た客人と、ごく当たり前に飲む。

普通なら飛び上がって驚いたり騒いだりする場面なのだろうけれど。好きな相手、気心の解り合った相手とは、距離も時間もあまり関係無い。



顔見れば、もう八割は、満足だ。







満席のぐみの木は年末の空気で満ちていて。身体にアルコウルが染み込み始めた辺りで、河岸を変える。

夜の情緒溢るる新道掛蔵を少し散策し、今年オープンした友人のお店『Boire un coup(ボワールアンクー)』へ。



とても素敵で静かなバー。気心の知れた友人達とゆっくり飲むのにぴったりなお店。

デートに最適だけれど、男同士でもしっくりくる。一人飲みがメインの大吾みたいな人にもお勧め。







カクテルや洋酒が豊富なバーなのだけれど、おもてなしの精神というか…お店の中に和の雰囲気がある。

だからお洒落だけれど、のんびり出来るのかも。お酒も何を飲んでも美味しい。



いつも一人で飲んだり唄ったりしている新道で、旧知の仲である旅打ちと飲む。不思議だが。それを不思議と思わない人生は、贅沢で幸せなものだと確信している。

特段、特別な話もせず。日付変更線を過ぎて、新発田の街角で、当たり前に「またな」で別れる。



男の別れ際なんざ、嘘くさいくらいサラッとで良い。







良い夜だった。

春になったら、また新発田で飲もまい。








本日の逸品・様々なグラスやカップ




20

圧倒的閃き

DSC_0296~01.jpg

何となく思う事は強い。

根拠が無いと思うかも知れないが、そんな事はない。

自分が自分としてやる事には必ず、自分なりの根拠がある。



考えて結果を出すより、何気なく思う方がずっと早い。勘も、その一種だと思う。

けれど。それも単なる思いつきとか簡単な当て推量ではなくて。







今日まで生きた道中で見聞きした、膨大な人や物や事。

思い出せないくらい奥にある古い記憶の断片とか。



それらをちゃんと介して。そこから突発的に導き出された、総合的判断なのかもなって思う。

ある意味で条件反射的な。だって常にフル回転だと、頭も心も疲れるからね。






何かの刺激に、瞬間的に無意識で全力反応するのが「冴えている勘」ってやつなのかも。

カイジで言うところの「圧倒的…閃き」ってやつだ。ざわざわ…だ。



自分の記憶とか経験とか閃きとか、そういうの総動員でパッと思った事や感じた事。

それがあまりに唐突だとビビるけれど。それを一生懸命無視したり否定したりするのも違う気もする。



何となく、思う事には、意味がある。







だから。

そんなに話した事もないし、理由はよく分からないけれど、あいつは信頼出来るとか。

周りの評判は悪いし、実際に良い人とも思えないけれど、あの人の事が好きとか。



自分がどう思うかが、大事。一目惚れも運命的な出会いの類いも。

きっとちゃんと自分に基づいて決めているのかも知れない、と思う。







運命とかね、言葉的には好きじゃないけれど。








本日の逸品・ロガー




14