アルジャーノン

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遠くで。

どこか覚束ない様子の四気筒が、ブンブンと夜に向かって吠えている。

パクられるのは個人的問題だから知らねぇが。くれぐれも事故んなよ、青少年。



夜にぶった斬ったマフラーの音を聴くと、秋だなって思う。

何故かな、秋の夜には単車に跨がっていた事を思い出す。






ボウリング場や寂れたゲーセン。港や工場地帯。夜の古町とか。

それっぽい所を選んで、それっぽい自分を探して。



単車も、一人か親友と二人とかが多かったかな。

ツルむのが苦手なのは、きっと生まれつきだ。






それっぽい場所に単車停めて。

煙草吸って、小瓶の何か飲んで。



そうやってカッコつけるのが楽しかった。

楽しかったら、寂しくなかった。






単車って。

特に車乗れる大人になってからの単車は、単なる移動手段ではない。

昔乗っていた人にも、大人になってから乗る人にも、ときめきをくれる乗り物だと思う。



ヒーローに似合うよね。男の子は仮面ライダー見て育っているから。単車って、一人だから良い。

愛車だった単気筒『アルジャーノン号』を降りて、十余年。もう危うげないお年頃だ。そろそろ、もう一度、走りたい。なんか最近、そう思う。

まぁ、単車から探さなくてはならないけれど。






颯爽と、一人世界を、一騎駆け。


ロマンチックだな。







本日の逸品・アルジャーノン号から外した風切り

2018年、秋

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秋だ。

大吾暦的には長月と神無月の2ヶ月間が秋。短い秋。あっという間の秋だ。

大吾暦とは、大吾の大吾による大吾の為の季節割り。



春→弥生・卯月・皐月・水無月

夏→文月・葉月

秋→長月・神無月

冬→霜月・師走・睦月・如月

となる。






温暖化やら年度末やらを加味して考慮すればだ。

秋は9〜11月、冬は12〜3月とするのが妥当かも知れないが。



でも霜月はまだ秋めいているけれど、やっぱり冬っぽいし。

弥生は旅立ちの時期だから、その3月が冬ってのもね。






6月ってばもう暑いけれど、水無月から夏だなんて、ちょっとね。梅雨だしな。

だから今まで通りの考えでゆきます。夏と秋が2ヶ月間ずつしかないのは寂しいけれど。



何事も、寂しさあっての、マブさかな。



あっという間の夏。

あっという間の秋。

だからこそ、濃密に味わいたいものです。






大吾は大吾で、アレもコレもやる事いっぱいで忙しい。週が10日。1日が30時間あればなーとも思うけれど。思いながら業務を放棄して、はじめの一歩を読んでいるけれど。

忙しいだけで季節をやり過ごす様な、そんな人生を送る気はない。つまらないし、自分に優しくないから。



今年の秋は何の秋にしようかな。書類作成の秋。税金対策の秋。決算期前倒しの秋。…嫌だ…人生の無駄遣いだ。

今年の秋は、そうだな。整理整頓の秋かな。片付けや断捨離。道具や家や楽器のお手入れ。気持ちの整理とか。一つ一つ丁寧にやれたら良いな。






嗚呼、梨食べたい。







本日の逸品・カレー




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田舎の灯火

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昨夜の追記。

グリーンフェスの打ち上げ。飲んだ。居酒屋→ぐみの木→ラーメン屋。まぁ飲んだ。

大吾はウイスキー、特にスコッチが好き。



スコッチの中でも、特にアイラ酒が好き。スコッチとは「スコットランドのウイスキー」の事。

日本で言ったら、薩摩焼酎みたいな感じ、なのかな。






アイラ酒ってのは…大吾が勝手にアイラ酒って呼んでいるだけで、正確にはアイラウイスキーやアイラモルトと呼ばれている。

スコッチにも産地がいくつかあって、スペイサイドとかハイランドとか。その中のアイラ島で作られているスコッチの事。



アイラ島にもいくつも蒸留所があるから、一括りに出来ないけれど。アイラ酒は独特の煙たい味や香りが強い物が多い。度数も40後半〜50%。

ウイスキー派ではない君にも、豆知識が増えたね。てか、楽しいか?こんなの読んで。読んでくれてありがとう。






さて。一次会では大吾的には珍しく酒(酒ってのは、基本的に日本酒の事。日本人だからね)も飲み、二次会の『ぐみの木』では珍しくカクテルも飲み、ラーメン屋では最初に戻ってハイボール。

結構ドロドロに酔って、楽しかった。珍しく一晩で一箱タバコを吸った。その上で思う。アイコスは身体に悪い。副流煙だけの問題じゃない。



スコッチしながら書いているから、とっ散らかっていますね。SKIPKICKの太鼓叩きで幼馴染みのアツシ君に、大吾のブログ長ぇんだよ!っ言われるから、まとめに入ります。

まず、酔っ払っての丑三つ時(26時)に何とかタクシーを拾い、城下町から海辺の村に帰って。で、大吾は家の前までタクシーで行きたくない派なの。



飲んだ夜は、少し歩いて、帰りたい。






飲みに出るにしても、基本は一人飲みな大吾。酔った夜の最後は一人で〆たい。タクシーを降り、靴の踵をコツコツ鳴らしながら、村道を歩く。

アルコウルとタバコと疲れで、喉もカラカラ。で、一番家に近い自販機に飛んで火に入る夏の虫の如く吸い寄せられて。何か飲もうと。しかし。なかなか。何を飲めば良いのか決まらないのです。

でも缶コーヒーはなぁ。ジュースもなぁ。イオンがサプライなのも、結局甘いしよ。

でもお茶や水もなぁ。てか二台も自販機並んでるくせに、センスねぇな。



ちょっと甘みも欲しいが、後味はスッキリ終わりたい。でも健全な酔いどれ中年に、炭酸や乳製品はキツい。今ここに何が売ってたら完璧かな?と、小銭を握りしめながら、ドロッドロに酔ったオッサンは悩みました。

今夜の答えは午後ティーのストレートでした。でもないのでお茶を買いました。千鳥足で甘いの無いお茶を飲みながら、これは一つのの敗北ではあるなと思いました。帰ってから自宅の事務所でスコッチを飲みながら。飲み過ぎたなと思いました。しばらくこんなに飲み過ぎれなくなるので、良しとします。

現場からは、以上です。







本日の逸品・紅生姜




委員長継続

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先月のお盆明け。大吾の暮らす村にある大きな公園「県立聖籠緑地」で開催された音楽イベント『グリーンフェス』。

住民有志で組織された実行委員会と、聖籠緑地を管理するグリーン産業との共催ライヴイベント。



大吾は出演者兼、実行委員長として企画の段階から参加。まぁ委員長などといっても特段何をしたでもなく。

ゼーレ(セルフの上の組織)みたいな感じで、偉そうに意見していただけだが。あ、売打ちもしたし、職質もされたか。






色々なバンドが出て、長丁場だったけれど。これといったトラブルも無く、無事に終了。すごく楽しく充実した野外イベントになった。

普段ライヴハウスや夜の町には出かけない人、老若男女幅広い来場者に楽しんでもらえたと思う。



余裕で不敵な大吾さんは大人のオトコなので、大抵の事をこなせます。

でも性質的に。人の上に立ったり、先頭に立って皆をまとめて引っ張ったりってタイプではない。






でも今回やってみて、気付いた事もある。

代表というのは責任を負う立場でもあり、一番下でもあるなって。




先頭に立つのも引っ張るためではなく。矢面に立つという考え方でも、文字通り当を得ている。

まぁ基本的に団体行動は苦手だし、やっぱり柄じゃないなとは思うが。






今夜はそんなグリーンフェスの打ち上げ。いいイベントの締め括りらしく、楽しく飲めた。これで委員長としての仕事は終わり。

のはずが。年明けの聖籠文化会館大ホールでの『聖ロック』。



そして来年も実現しよう!となった『グリーンフェス』の実行委員長も大吾がやる流れに。…割と忙しいんだが。

まぁ地元での音楽活動には大きな意義があるし。ゼーレ(黒い板状のやつ)みたいに偉そうに意見したり、トラブル対応したりしながら、一つ一つ組み立てたい。






また旨い、酒を目指して、頑張るか。







本日の逸品・徒歩移動前の日本酒




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曇った夏の日

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その日。

とある街のとある古びた鉄筋コンクリートの建物にいた。因みに画像の建物ではない。あそこで撮った写真はあの日のうちに全部消した。貼る写真が無かったの。今日の画像は本文と関係ない。

あの日行ったのは基本的に撮影禁止で、何かの機会がなければ一生行かないであろう機関の建物。落ち着かなくて。その無機質なコンクリート軀体の左端っこ、外階段で一人、空を眺めていた。



薄曇りだけれど、夏真っ盛りで。

すぐ側の高校のグラウンドからは、賑やかな声が聞こえて。少し向こうにある山々は強い緑色で。何処か他人事みたいだった。

ふと。自分が見た訳ではない、自分以外の遠い日を想った。そうしたかったのかも知れない。くわえていた煙草に火を付けるのをやめて、口笛を吹いたり。






何の事か分からないだろうけれど。憶えておく為に書いている側面もある。そういう夏の日があった。

後から悲しさや悔しさが押し寄せてくるのだけれど。この時は何だか、漠然としていた様に思う。



自分が自分としてやるべきだと思った全ては、先ず何よりも自分の為にある。伝わるの、分かち合うの、汲んで欲しいだのっていうのは、別次元の話で。

自分なりに筋は通した。痛かろうが虚しかろうが、筋を通せたと思うなら、それだって一つのカタチだ。







怖いと思う事を抱えて、それを突き詰めるには勇気が要る。

でも大吾みたいなボンクラは、そうでもしないと勇気を出さない。



人によってそのカタチや意味は違うだろうけれど。勇気は誰にでもある。必ずある。

それを表に出すには条件や理由がある様に思う。でも一度使えたら、忘れない。あの日、少しだけ勇気があった事も、忘れないと思う。






怖かった分。

悲しかった分。

逃げたければ逃げたい気持ちの分だけ、逃げなかったら積み上がる。だからまた同じ事があっても、次はもう怖くない。平気でなくても、立ち向かえる。

あの時だって踏ん張ったんだ。ここで退いたら、あの時の自分に負ける事になる。



いや、違うな。あの時の自分を否定する事になる、かな。だから退かない。悲しくて怖かったけれど、一度出来たんだって。一人ぼっちだったけれど、やれただろ?って。

これを勇気と言うのは、ちょっと違うのかも知れないけれどね。でも、強くいようと思った気持ちは、心身に刻まれていると思う。


例え認められなくても、褒めてもらえなくても、忘れられても。






頑張った。自分はそれを、知っている。







本日の逸品・ジャガイモ




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ハヤトと夜茶会

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腐れ縁で

博打仲間で

古い歌仲間で

イケメンだか変態な兄弟、井口隼人と夜茶。



いくら中性的美青年な我々とて、いい大人のオトコ。

そんな二人がド平日のガスト(ファミリーレストラン)で、会談。






お酒も飲まず、少々のお肉とドリンクバー。紳士的ですな。

人生について、音楽について。神懸かった崇高な話題から、世間様に謝りたいくらいゲスな話まで。



井口にしても、メモリーの吉越にしても。秋田の草階(halos)の兄弟やジャイロのヨースケ兄さん、五城目の兄弟ケンジにしても。ぐみの木の大橋の兄貴や、聖籠の英兄さんもだ。

あったら話そう、愚痴ろう、甘えたい、言ってやろうと思う事はいっぱいある。






でも。

不覚にも顔見たら安心してしまう。8割9割はOKになってしまうんだよね。お互い生きてここにいる。なら、大体はOK。大丈夫だなって。

理屈も根拠もクソもなく、兄弟や兄貴が笑ってたら、OKだろって。



これは可愛い弟達や後輩、可憐な女子達には分からないかも知れない。

男って、その程度なんだわ。シンプルがベストとは言い辛いが。単純だから丈夫なのは、間違いない。






そんな事を思いながら帰宅。缶チューハイのつまみに漫画本。

遂に禁断の領域あるが故、長年躊躇ってきた『はじめの一歩』に手を出してしまった大吾。



やばい。止まらない。分かっていたけれど、面白すぎる。明日のお仕事も早いのに。

そう思いつつも、サッサとブログ打ち終えて続きを読まなきゃ♡と思う、26時前の愚かな自分は嫌いではない。






分かってる。嫌いじゃないけど、愚かなり。







本日の逸品・長渕剛Zippo




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新道の道端唄者

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土曜日はギリギリ降らないと判断。新発田の夜の街、新道掛蔵に唄いに出た。

唄う場所にはビルの屋根があるので濡れないが。聞く人が濡れるので、雨の夜は新発田では路上は出来ない。



ここからは小心者である大吾の主観になるが。路上の歌うたいの一般論から考えて。

新道でのストリートライヴは、正直容易なものではない。新潟の歌うたいの間でも、そう言われていた。






まずアーケードが無いから、天候にも左右される。駅からも遠い。いい女は多いが、比例して強面の男も多い。

唄う場所の確保も簡単ではない。今、大吾が軒を借りて唄わせてもらっている新道の名店『ぐみの木』のマスターは大吾の兄貴分。ミュージシャンでもある。



結局コネ使って楽しているんでしょ?と思った歌うたいがいたら、甘い。最初から『ぐみの木』の軒を借りていた訳ではない。

最初は少し離れたスナックの脇で、新道での路上唄者活動を始めた。周囲のお店に挨拶をし、お店のお客さんから苦情が出たら即やめるから、唄わせて欲しいとお願いをした。






ギターケースを抱えた見ず知らずの無名のミュージシャンが、いきなりそんなお願いにあがったのにだ。一つの反対も苦言も無く、どのお店も快諾し、応援してくれた。

『ぐみの木』の軒を借たのは、何度か路上で唄ってみて、兄貴に迷惑をかけないだろうと確信が持ててから。



実際に新道の路上で唄っていて。いくつも気付く事や学ぶ事がある。音楽的な事や道端唄者として。人としても。

路上で唄うには難しいとしても、やはり名のある飲み屋街だ。唄う者に対して、懐が深い。






聴き手との距離が近いから、難しい時もあるけれど。素敵な店や素敵な人達がいる夜の街に、唄者の一人もいないのは寂しい。

海辺の村で暮らす大吾にとっても、一番近くて親しみのある夜の街だ。



街角で唄う以外に何をするでも無いけれど。大吾も道端唄者として、夜の新道の一コマになれたら良い。そんな気持ちで、新道でも唄ってゆきたい。

新道で唄う大吾を見て、新発田や聖籠から新たな歌うたいが出て来たら楽しいだろうな。ツルむ気は全然無いけれども。






ゆっくりと、味わいながら、続けたい。







本日の逸品・蝋燭




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